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恭帝 (西魏) : ウィキペディア日本語版
恭帝 (西魏)[きょうてい]

恭帝(きょうてい)は、北朝西魏の第3代(最後)の皇帝。また、拓跋氏最後の皇帝でもある。元の姓元廓(げん かく)、のち拓跋姓に復古して拓跋廓(たくばつ かく)。
== 生涯 ==
文帝の四男として生まれた。大統14年(548年)に斉王に封ぜられた。554年1月に異母兄の元欽宇文泰によって廃位されると、代わって皇帝に擁立された。
556年1月、周礼にならって六官を建て、宇文泰を太師・大冢宰、李弼を大司徒趙貴太保・大宗伯、独孤信大司馬于謹を大司寇、侯莫陳崇を大司空にそれぞれ任じた。
556年10月に宇文泰が没すると、12月に宇文護に迫られて、恭帝は周公宇文覚に帝位を禅譲する詔を発した。ここに西魏は滅亡した。拓跋廓は宮中を出て大司馬府に移った。
557年1月、宇文覚が天王(皇帝)の位について北周を建てると、拓跋廓は宋公に封ぜられたが、間もなく殺害された。
恭帝の在位中には元号が建てられなかったため、後世の史書では554年・555年・556年を「西魏恭帝元年・2年・3年」と呼んでいる。




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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